~高崎市なぎなた連盟 ミニ歴史~


 当連盟は、初代会長である中島千恵子先生が「東部通信道場なぎなた部」として教室を開いた所から始まりました。
 後に同じ東部通信道場の剣道・居合の有志の方々に勧められ、御祝金という形で資金提供を頂いて教室を独立。昭和37年(1962年)4月に「高崎市なぎなた連盟」が発足し、高崎市体育協会への加盟を果たしました。

 昭和58年(1983年)には群馬県で第38回国民体育大会『あかぎ国体』が開催され、中島先生はじめ各地の指導者による熱心な働きかけによって、なぎなた競技はこの大会から初めて正式種目となりました。当連盟からは少年・成年の選手が出場して、本競技における群馬県の総合優勝に貢献しています。また選手以外の会員は役員として円滑な運営に尽力し、試合会場となった住民体育館のある多野郡新町(当時・現在は高崎市)町民の協力もあって、大会は大成功のうちに終了しました。

 中島先生は長年に渡ってなぎなたの普及に努められ、平成18年10月10日に逝去されました。
 後進へ向けて次の言葉を贈られています。

『成績を競い合うことだけでなく、精神修行として、なぎなたのお稽古をしてほしいです』